学問・資格

『脳を活かす勉強法 茂木健一郎』

消極的な気分でいるよりも積極的な気分でいる方がいい。
日本経済の基盤が揺らいでいる今、積極的な気分でいるのは難しいけれど、消極的な気分に少しは浸る時期があるのもいいじゃないかなと私は思う。
これからの積極的な気分になるが為に。

《読書》

脳を活かす勉強法



脳を活かす勉強法


著者:茂木 健一郎




脳を活かす勉強法

抜粋したい文は結構あるので、敢えて、一文だけにしてみた。

「知」の探求というオープンエンドに挑戦すると決めた時、それが、あなたが「脳を活かす勉強法」を体得した瞬間です。

猛勉強するという意志を確保、そして、その意志を維持し続けるというのが鍵なのだ。

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『プロ弁護士の思考術』 矢部正秋』

最近、不安な気持ちに押されがちだ。やばいなあ。

《読書》

プロ弁護士の思考術 (PHP新書)



プロ弁護士の思考術 (PHP新書)


著者:矢部 正秋




プロ弁護士の思考術 (PHP新書)

さすがに弁護士らしい考え方だな・・・。

考えるとは、曖昧な事実を掘り下げ、具体的に、細密に、個別的な対応策をつくり出すことである。抽象論、建前論、精神論は、物事を具体的に考えない悪しき例である。

考えるとは、上下前後左右のあらゆる角度から、網羅的に多数の解決策を発想する事である。

豊かなオプションを発想するには、常識を捨て、極論を考えることが有用である。

われわれの物の見方は、権威や伝統というフィルターにさえぎられている。
フィルターを突き抜け、物事の本質に迫るには「直視」が有効である。

物事を直視する視点は、思考に厚みを与える。

実社会で起きる問題には「正解」は存在しない。問題によく対処するには、反対意見を聞き、少数意見に学ぶ心構えが必要である。
他人への共感力のない者は、人の痛みがわからず判断を誤る。人間関係を誤らないためには、情緒的共感力と認知的共感力が必要である。

考えることは、人であることの存在根拠である。だから、仕事も私生活も一貫して「考える習慣」を身につけなければならい。

下線をひいた文は本書より抜粋したものです。

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『それでも脳はたくらむ 茂木健一郎』

この不況を乗り越えるには思い切った政策が必要ではないの?!
「農業支援(自給自足支援)」「給与を下げると共に物価も下げる」「個人において1億円までの貯金は認めるが、それ以上の使い切れない貯金は国が徴収して、国民に還元させる※世界規模で行えば不可能ではない」etc
お金が有限なものであるなら、必要以上の貯金は悪になるだろう・・・。

《読書》 それでも脳はたくらむ 茂木健一郎

それでも脳はたくらむ (中公新書ラクレ)



それでも脳はたくらむ (中公新書ラクレ)


著者:茂木 健一郎




それでも脳はたくらむ (中公新書ラクレ)

脳を駆動するのは「意欲」だ。

正解のないところに新たな正解をつくる。これこそが、生物の進化の過程で繰り返し行われてきたことである。

脳は確かに意欲に導かれて変化する。脳の回路全体の指揮者役と言えば前頭葉だが、中でも自我の中枢である前頭前野は、その時々の欲望に従って様々な脳回路の活動を上げたり下げたりする。
だからこそ、音楽家を目指す者の脳は、次第に音楽家の脳になっていく。数学者の脳、文豪の脳、職人の脳。それぞれの脳が、生まれつきユニークな特徴を持っているわけではない。意欲を持って日々を過ごしているうちに、少しずつ変化して個性を開花させていくのである。

人生において一番難しいのは、実は意欲を持つ事である。

受験勉強も、頭を使うこと自体がよろこびであるという境地に達すれば、怖いものは何もない。

大脳皮質の前頭葉の中にある新奇性を検出する回路や、自らが置かれた文脈を感知し、それに合わせた活動を生み出す前頭眼窩皮質の性質からして、呆然とするほど新しいことに挑戦することが脳に良いことはわかっている。

脳の基本は「自発性」である。他人にとやかく言われなくても、自ら進んでやる。

教育に管理というのは、根本的になじまない。脳の自発性を、管理を通して育て伸ばすことはできないからである。

夜眠っている間にも、脳は活動を続け、昼間のうちに神経回路に蓄積された体験が整理されていくというのが最近の脳科学の考え方である。

近年、脳の仕組みが明らかになるにつれて、「創造性」は脳の「記憶」のシステムと深く関係しているらしいということがわかってきた。「何かを生み出す」プロセスは、「思い出す」という脳の働きに支えられているのである。

とりわけ、あるものが生み出された「起源」にさかのぼることが、新たな創造へ向かうための有力な方法論となる。

目の前に立ちはだかる課題が不安を与えるならば、その課題そのものの中に逃げ込んでしまえばよい。課題と自分が一体になることで、迷いは消え、実力も上がって一石二鳥の効果が得られる。


下線を引いている文章は私が感銘を受けて本書より抜粋したものです。

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『思考の整理学 外山滋比古』

平成20年11月29日、応募した会社より、郵便が届き、それによると金融危機のあおりで当分は人事採用を凍結するとの事。
改めて、不況を実感してしまうとともに、はやく抜け出て欲しいなとも願っています。


《読書》

思考の整理学 (ちくま文庫) (ちくま文庫)


買ったきっかけ:
思考とは何かを知りたくて。

感想:
タメになる言葉があった。

おすすめポイント:
必ず,タメになる言葉が見つかると思います。


思考の整理学 (ちくま文庫) (ちくま文庫)


著者:外山 滋比古




思考の整理学 (ちくま文庫) (ちくま文庫)


発想の母体は触媒としての個性である。
発想が扱うものは、周知、陳腐なものであってさしつかえない。そういうありふれた素材と素材とが思いもかけない結合、化合をおこして、新しい発想を生み出す。発想の妙はそこにありというわけである。

思考の整理には,平面的で量的なまとめではなく、立体的、質的な統合を考えなくてはならない。

(何にしても)とにかく書いてみる。
一稿が満身創痍になったら、第二稿を作る。これもただ第一稿の訂正のあとを写しとるというのではつまらない。新しい考えをなるべく多くとり入れるように努めながら、第二稿を作りあげる。これもまた推敲する。それで目立って改善されたようだったら、第三稿を作る。もうこれ以上は手を加える余地がないというところに至ってはじめて、定稿にする。書き直しの労力を惜しんではならない。書くことによって、すこしずつ思考の整理が進むからである。何度も何度も書き直しをしているうちに、思考の昇華の方法もおのずから体得される。

だいたい、修飾語を多くつけると、表現は弱くなる傾向をもっている。「花」だけでいいところへ「赤い花」とすると、かえって含蓄が小さくなる。「燃えるようなまっ赤な花」とすると、さらに限定された花しか伝えなくなる。修飾を多くすれば、厳密になる場合もあるけれども、不用意に行うと,伝達性をそこないかねない。厭味になることもある。

考えるには、ほかにすることもなく、ぼんやり、あるいは、是が非でもと、力んでいてはよくない、というのが三上の考えによっても暗示される。
三上とは馬上、枕上、廁上であり、中国の欧陽修という人が残したことばである。

三上を唱えた欧陽修は、また、三多ということばも残している。これもよく知られたことばである。
三多とは、看多(多くの本を読むこと)、做多(多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の秘訣三ヵ条である。

本文中の下線を引いているものは本書より抜粋したものです。

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『自分を見つめる心理学 加藤諦三』

平成20年11月26日、ハローワークへ行ったけれども、良い仕事がなかった。

感情の起因は自分である、すなわち原因も自分にあるのだ。

《読書》〜読書中〜
自分を見つめる心理学 加藤諦三
http://ec2.images-amazon.com/images/I/2127X3V379L._SL500_AA140_.jpg
心にしみ込む文が多く、なかなかの逸書。


アメリカの心理学者アルバート・エリスの著書の中で
「非合理的な考えの第一として、私はうまくやらなければならない、そして自分がうまくやることによって人々の承認を得なければならないという考え方をあげている」
そのような考え方は、心の底の自己蔑視の反映でしかない。自分を肯定している人はこんなことを信じるものではない。

他人の期待にかなわなければ、自分は劣っていると考えたのは自分なのである。

他人が自分の事を自分の望むように扱ってくれないからと怒り、何かを達成して力ずくで自分のことを認めさせようとする人は、案外何かを達成しながらも人望がないものである。

河童は河で流れても河童なのである。河童は泳ぎそこなっても、それでも水の中で生きる権利がある。河童が一度泳ぎそこなっても、河童として駄目なわけではない。
人間はある一つの欠点があるからといって生きる権利がなくなるわけではない。弱点があるということと生きる権利は両立するものであろう。ある弱点を持っているからといって、自分を卑下する必要はない。

ナルシストで幼児性を持つ人は騙されやすい。
自分を甘やかしたいという性質を持っているが為に騙されやすいのだ。

自己中心的な人は、自分の自分に対する評価(過大評価)と他人の自分に対する評価(過小評価)のズレにぶつかった時、必ず怒る。

組織で働く為には、自分の欲求を抑えなければならないことがある。他人と補いあって、働いていかなければならない。他人の足りないところを自分が補える人でなければならない。自分の足りないところを他人がを補ってくれることもある。
自己中心的な人は、他人の足りないところを自分が持っていると、それを得意になり、誇示する。どうしても他人と強調できない。周囲の人の反発を買ってしまう。ナルシシストとか自己中心的な人とかいうのは、他人と強調できない人である。自分の名声とか、自分の利益とかにばかり気を取られて、他人の気持ちを理解できない。

自己中心的な人とは逆に、自分が心理的に依存している人のことばかり考える、自分の存在を消す「自己消滅型」の人は怒りを自分に向けることでうつになりやすい。

自己消滅型の人の矛盾は、相手の称賛や名誉がほしいということである。自己消滅型の人は先にも述べた通り、病的依存心がある。他人の評価なしに自分の自尊心を維持できない。自分が自分であるといういう確かな感じを持つためには、他人の評価が必要である。
他人の評価を心理的に必要とするということは弱さである。その弱さを相手に見抜かれる。相手の称賛や名誉が心理的に必要というのでなければ、相手に対して服従する必要はない。対立する必要もない。その人と関係なくなればいいのだから。自己消滅型の矛盾は、人を恐れながらも人を必要としているということなのである。

自己消滅型の人がストレスで胃潰瘍にでもなり、働けなくなった時には(高慢な人に利用されていたばあい、)ただちに捨てられる。高慢な人は利己的であり、冷たい。自己消滅型の人の出口というのは、この高慢な人,心の冷たい人、利己的な人の現実の姿を正面から見つめることなのである。
自分はどのような人に誉められるために自分を犠牲にしているのか、という現実を見つめることなのである。自分がストレスで倒れるまで必死になって得ようとしている好意とか称賛は、一体どのような人の好意であり、称賛であるかということである。

劣等感の強い人はどうしても自己蔑視してしまいがちである。自己蔑視してしまったものは自己礼讃ができなければ、自己蔑視におちいるという二者択一の心理状態になるから、強迫的に名声を求めるのである。成功できない普通の自分を自分が尊重できれば、強迫的なまでに成功を求め、消耗することもない。

心の中に恐れのある人は何もしないうちに、煩悩悶で消耗し尽くす。恐怖心を取り除けるのは行動である、というのはウェイン・ダイアーやシーベリーが共通していっていることである。

他人への思いやりから他人を喜ばそうとする人は、強い人である。しかし他人を恐れるがゆえに他人を喜ばそうとする人は、弱い人である。

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